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随筆シリーズ第1弾
「歯医者で、もらおう!」
梅のつぼみがふくらみをもち始めた3月。新しい年度への期待に胸を弾ませる一方で、左下奥から2番目の歯が痛みだした。そこは、それまでも
疲れが溜まると化膿し、左あご部が腫れ、しばしば疼いていたところだ。いつもは例によって薬物投与でしのいでいたのだが、今年はちょっと様子が違っていた。いくら薬を飲んでも効かないのだ。度重なる深酒が原因か、薬物に対する抵抗力がついてきたためか、疲れが異常に高まったためかは不明だが......。全てに起因するような気もする。
痛みの根源は、歯ではなく、その下の「神経」。肝心の歯は、幼少期の虫歯により、根の治療が済んでおり、すでに歯の神経はない。
しかし痛みに耐え兼ねて、近所の歯科医にかけこんだ。「あと1日早く来てれば、こんなにひどくはならなかったのに...」と、説教をされた。説教をすることはあっても、されることが少なくなった昨今....。「説教をしてくれる人間は、俺のことを考えてくれてる人間」と常々思っているので、しばし感涙してはみたが、痛みは止まらない。忍耐力には自信がないがその限界を感じ、ついに「抜いて下さい!」と口走ってしまった。
麻酔の注射を打つ.........。1本や2本では、まったく効き目がない。慢性アルコール中毒症の症状である....いや、肝臓が強いということらしい。計6回の麻酔でやっと麻痺。痛みが消えた......安堵の長いため息をついた。
こうしてやっとの思いで抜歯したのだが、この私がこともあろうに飲酒も控えてがんばっているのに、麻酔が切れると
たちまち痛みが復活した。そればかりではない。抜歯の痛みまで相乗して私に襲い掛かってきたのである。例によって痛み止めの薬を飲んではみたが、全く効果がない。「なんで歯医者に行って、金払って、もっと痛くなるんだー!」と怒りが頂点に達し、その歯医者に対する憎悪が私の心を覆った。「いまいましいあのヤブ医者めー!」。
その夜、私は痛みで一睡もできず、朦朧とした朝を迎えた。
しかし、だがしかしである。にもかかわらず抜歯後の洗浄のために、翌日その歯医者に行ってしまうのが、私の弱いところであったりするのが悲しかったりする。
それから2度ほど「洗浄」に通うと、「1ヶ月程で、抜歯の痕が消えるので、その後に、前後の歯とブリッジして歯を入れますので、その時来てください」と言われた。「はい。」と応えたものの、「二度と来ない」と決心したことは言うまでもない。
それから5ヶ月程私の左下奥歯は欠損したままで、専ら右奥歯でモノを食っていた。しかしそれも情けないものがあるので、地域でも「丁寧」と評判の別の歯医者に出かけることにした。
一昨年開院したばかりで、最新技術を導入した歯科医院である。技工士4名に歯科医師3名という個人開業としてはモノスゴイところだった。応対や技術も評判通りで、安心できた。しいて言えば、歯科医師がとても「優しくフレンドリー」に対応してくれるのに、受付や技工士のおねーちゃんが無愛想なこと。普通は逆なことが多いのに...。いや、もっというと....、受付のおねーちゃんがカワイイ....というだけで歯科医院を選んだこともあったぐらいなのに…..。
まぁ、そんなことはどうでもいいが、それから一ヶ月程して
やっと左下奥歯のブリッジが入った。しばらく無かったモノが口の中にあるというのは、いささか異物感があるが、両奥歯でモノを噛めるというのは、ウレシイことだ。今晩の夕食が楽しみになってきた。
歯のセッティングも終り、ふと右に目をやると....。かぶせる銀歯を加工するために作成された
私の歯の石膏型が目に入った。毎日歯磨きをする際に、鏡で自分の歯を見てはいるものの、自分の下あごに並ぶ歯のコピーに私は目を奪われた。思わず、「これは、また何かに使うんですか?」と、私はその石膏型を指差し口走ってしまった。「ほしい!」と思ってしまったのである。しかし次の瞬間、私の脳裏を稲妻のように「変なヤツと思われてしまう!」ということに対する自己防衛本能が働き、「“教材”に使いたいんですが....」などというワケのわからん言葉が口をついた。「変な目で見られたらどうしよう…」と言った類の回想が私の頭の中を走馬灯のようによぎった。
しかし若い歯科医は平然と、なおかつさわやかに「いえ、どうぞ...」と私の歯型をすんなり渡してくれたのである。どうも
私の歯型は、もう用済みのようだ。でもなんだかとってもうれしい気持ちになって帰ってきたことは言うまでもない。
家に帰るとカミさんが、うらやましそうに「私のもほしい...。もらえるの?」とのたまっていた。「うん。いいでしょ!」と自慢げにほほえんだ私は、「今度は上あごをもらいたい」と密かに思っているのであった。
おしまい
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